Tuesday, January 17, 2006

以前ホームページで西洋音楽史を作成しようと思ったことがあったが、まじめにやりすぎて、100年も進まないうちにダウンした。そのとき思ったが、私には、断章形式がふさわしい。それならブログのほうがやりやすそうである。場当たり的に書くなら、日記だし、ピカソだって、私の絵は日記であるといったではないか。タイトルは、アインシュタインの有名なせりふから取った。仏教は否定するだろう。因果律が破れるからである。したがって、手塚治虫も火の鳥の歴史観からは否定すると思われる。そもそもは、いくらか胡散臭いハイゼンベルグの不確定性原理の導入によって始まったと、私は単純に思っているのだが。しかし量子力学抜きでは、現在の科学が生き抜けぬ以上、神はばくち打ちと思ったほうが、よさそうである。このことは、これからも見え隠れする命題である。19,1,2006 遠藤幹哉

・クラシックはよく古典と訳されるが、寧ろ歴史、或は芸術史と訳したほうがふさわしい。その変遷は一    般の人間の意識に先んずる。われわれはまだロマン派に生きている。

・ニーチェは、自分は80年後に理解されるといった。確かに理解するものは、現在少なくはない。
しかし、ニーチェの世界に住むものは殆どいない。

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