Monday, February 13, 2006

・この世は眠らぬ魚の見る夢だ。:佐藤史生
この考えはディラックの騾馬電子論にも通ずる。非存在としての存在。荘子の夢の蝶。存在というものの足元が崩れてゆく。デカルトは、われ思うゆえにわれありといったが、眠らぬ魚の見る夢という2重の逆説の前では、吹き飛んでしまう。

・佐藤史生の漫画、特に民俗信仰を扱ったものは示唆に富むものが多い。それはユング的な意味で、読むものの深層心理に直接働きかけ、われわれの存在を、脅かすからだ。実在という点で、行き詰った現代人の生を再度構築しなおす秘密が、その中に隠されている。

・それは哲学や、心理学ばかりではない。芸術も、物理学も然りなのである。或は、言い古された言葉であるが、一度、人間学に再統合して、そこから始めなくてはならない。現代、人間はあまりにも膨大なテーマを抱え込むことで、その一つ一つへの解答を追い求めている。今統合への道が始まりつつあるが、生と存在への大統一理論が、求められることになろう。

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