・1998年に脳内出血をして、後遺症として、左半身に痺れが残った。ここ数年酷くなり、殆ど強い痛みが永続するようなものである。しかも痛みではないから、痛み止めは効かない。何故自分がこんな目に遭わなくてはいけないのか。これは因果応報なのだろうか。それとも神の振ったさいころの目が偶々自分に当たったのか。偶然か必然か。カオス理論では偶然となろうし。仏教では因果応報すなわち必然ということになる。いずれにせよ、私が、そして多くの人が、不治の病、痛みから、抜け出すことはできないのだが。
神はさいころを振るか
Wednesday, March 22, 2006
About Me
- Name: mikiyaendo
北大理類入学、ドイツ文学卒業。早稲田大学院ドイツ文学専攻。30ねんにわたり、ルネサンス専門合唱団の代表を務める。札幌市中央図書館で8年間AV部門の担当を勤めた。
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